2007/12/09

ヨウジヤマモト

新聞の広告で、御殿場プレミアムアウトレットの求人広告が入っていて

その中にY'sの募集があった


・・・アウトレットで耀司買えるようになるのかもしれない

2007/12/07

勢い

新垣結衣オフィシャルブログの最新エントリーのコメントの数がやヴぁい

逮捕直後の堀江さんみたくなってる

炎上じゃないのも凄い

2007/12/05

日本とアメリカの広告観

毎日jp:吉野家:アルバイト店員2人を処分 山盛り豚丼動画

インターネットの動画投稿サイトに、豚丼の肉をあふれるほどに山盛りにし、「(メガの100万倍の)テラ豚丼」とする映像を掲載したことが分かり、牛丼最大手の吉野家(本社・東京都新宿区)は5日、社の信用を傷つけたとして、関西地方のアルバイト店員2人を処分した。処分内容については「明らかにできない」としている。




CNET Japan:メントス&ダイエットコーラCMの効果

ダイエットコークとのコラボレーションを勝手にやってしまったコンビは、最終的にはメントスのフィルムコンテストで400万円相当の賞金を手にしただけではなく、数千個のメントスとダイエットコークの売り上げにも貢献した。





処分と400万

土壌の違いが、生まれるサービスの違いなんだと思う


参考:報酬型動画共有サイトRevver

2007/12/04

Googleモバイル

本を店に買いに行くのに、せっかく行ったのにもかかわらず在庫が無くて、店から店をたらいまわしにされる

そんなことには到底我慢ができない

だから、電話で在庫確認をする
まぁ常識

そんな訳で、本屋の電話番号を調べるために、携帯にブックマークしてあるGoogleモバイルのページにアクセスしてみると

・・・!?

何とインターフェイスが変わっとる!!
思わず変な言葉が飛び出す

しかも検索画面だけじゃなく、付近のお店やサービス・地図・乗換検索、さらにはGmailやニュースまで見られるようになってる

mobileのプラットフォームまでGoogleは手に入れるつもりなのか?
こりゃスゴイぞ、と鳥肌を感じながらも、「町田駅 久美堂」と検索

まず驚かされるのが周辺検索の利便性の高さ
表示される電話番号から一発で電話が出来る

結局電話で在庫確認をしたおかげで、無駄なたらい回しを回避できたことはGoogleモバイルに感謝したい

コレはみんな使うべき!!

携帯のブックマークに登録することをオススメします(オススメって漢字をどれ使っていいのかがイマイチ分からない)
居酒屋を急に探すでも、カフェを探すにも、活躍してくれること間違いなし


分からないことがあったらすぐ調べられる環境は、知りたい者とそうでない者の差を鮮明に打ち出すことになるから、ここで乗り遅れると辛いですよ

ググって行きましょう♪


参考資料
Google Japan Blog:Googleモバイルをほぼ全機種でリニューアル
IT media News:「Googleモバイル」が個人ポータル化 地域情報に素早くアクセス

田舎と本

今週末、友達が作ったdesign団体の合宿があって、そこで行われる読書会で使われる課題図書を早急に手に入れる必要があった

*参考図書⇒生きのびるためのデザイン

でも、大学の図書館は貸し出し中で、生協には在庫がなく、地元(中途半端に田舎)の本屋にあるような本ではないし、Amazonで注文するにも日にちがない

最終的には学校帰り、町田のLIBROで手に入れることが出来たが、町田の久美堂にも本厚木の有隣堂やくまざわ書店にも在庫がなくて(ローカルネタすいません)、手に入れるまでの労力たるや相当なものであった


僕はAmazonでのショッピングに順応することも早かったし、本を買うのにも都内に出るついでにブックファーストなどに行っていたから、欲しい本が手に入らないという状況はあまりなかった

でも今回のように、早急に本が必要だという状況に立たされると、とたんに入手手段がないことに悩まされる

そして、この手に入れられるか入れられないかの一瞬で差が生まれるということを考えると本当に怖いし悔しい

何が言いたいのかというと、やっぱり都内で暮らさないかん、ということ

この議論は頭の中にも人との議論にも、かつて浮かんでは出てきての繰り返しだったけれど、今日ほど強く感じたことはない

唐突で情けないロジックだと自分でも思うのだけれど、溢れるほどの刺激や情報に身をさらさなくてはならない

ぼんやりとそろそろ一人暮らし、なんてことを考えていたけど、今日から真剣に物件探しやらe-mobileの契約などなど、前進しにむけての労力と努力を払わなくてはいけない

そんな決意の一日

キッカケが本屋っていうのも僕らしくて良いと思う

********************

今日の買い物

no image
ヴィクター・パパネック 阿部 公正
晶文社 (1974/08)
売り上げランキング: 226565
おすすめ度の平均: 3.0
3 消極的なデザイン読本


まだ、ほとんど読んでないけれど、30年という時代の差を感じさせない普遍性を持った良書だと思う

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あっ、最初にチラッと書いたけれど、8日の夕方から9日の夜にかけて、デザイン団体komeの合宿があります

現在の参加者は10人ほどで、僕もかつて在籍していた慶應大学奥出研究室の人間やら、早稲田の繊維研究会の人間やら、桑沢で学んでいる人間やらが来るっていう、デザインの分野に強い関心を持った団体の合宿になるようです

興味をお持ちの方がいるようであれば、あと数人は会場の空きがあるらしいので、僕にでもkemoのBlogにでも、連絡くださいまし

2007/12/03

Amazonから届いたもの(12月2日)

no image
ロジクール (2007/09/07)
売り上げランキング: 115
おすすめ度の平均: 4.5
3 ミドルクリックを常用している方はご注意を
5 デスクトップでもオススメ出来ます
4 全体としてはお気に入り


評価:★★★★★
小型のUSBレシーバーや持ち運びに優れた付属のカバーなど、ラップトップではピカイチだと思う


リアル 7 (7) (ヤングジャンプコミックス)
井上 雄彦
集英社 (2007/11/29)
おすすめ度の平均: 5.0
5 いよいよ本格的な障害者バスケの試合だ。新生タイガース第1戦目。
5 野宮コーチ!!!
4 別世界の話ではない☆


評価:★★★★☆
高橋の話が見たかった

PLUTO 5―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (5) (ビッグコミックス)
浦沢 直樹 手塚 治虫
小学館 (2007/11/30)
おすすめ度の平均: 4.0
4 気づいている方もいると思いますが・・
4 謎がさらなる謎を呼ぶ展開


評価:★★★★★
天馬博士がかっこいい

2007/12/02

ファイナルファンタジータクティクス A2 封穴のグリモア

急激な寒暖の差・この時期特有の湿度の低さ・栄養の偏り・少ない睡眠時間・酒の過剰摂取、と、風邪を引くための条件をこうも見事に取り揃えれば、さすがに打ち負かされる

世の中どれくらいの人が、俺、風邪引いたから馬鹿じゃないんだぜ!!なんてことを、この時期にほざいていることだろう
僕も含め、そういう人種は馬鹿だ
断言できる


鼻水は止まらない・ボーっとする・無気力で気だるい、と、だめんずな香りがプンプンの自分を見て、こりゃとことん自堕落に過ごすしかないという決意が固まる

そういうときは、年齢問わずにゲームに没頭するのが吉
神様からのプレゼントだと思えば良いのだ

そんな言い訳を自分にしながら買ったのが、先月発売されたニンテンドーDSのファイナルファンタジー タクティクス A2 封穴のグリモア


風邪のときのゲームはRPGと昔から相場が決まっているのだ
・・・あくまで自分のなかで

ファイナルファンタジー タクティクス A2 封穴のグリモア

評価:★★★★☆(フランスの某グルメ雑誌的な意味で)

久しぶりにスクエアのRPGをやったという感じがした(まだクリアしてないけれど)
それだけで買う価値は十分にある

初代を想像しながらプレイすると、練られていない設定やストーリーにガッカリさせられるかもしれないが、このゲームはこのゲームと割り切れば十分合格点だ、面白い

ただ、頻繁に使う飛空挺の乗り降りが煩わしいことと、戦闘での相手コンピューターの操作が遅い点で減点1させてもらった

********************

風邪で外出を控えなくてはならないときにこそ、昔のようにゲームにうつつを抜かしまくってみるのも良いんではないだろうか?

水疱瘡で休んでる最中にドラクエを全クリしたとか、おたふく風邪で家にいたときにモノマネ士のクリスタルを手に入れたとか、そういう思い出に浸れることは間違いない

********************

居酒屋⇒カラオケの3時間と、50時間遊べるゲームの値段が同じだということに色々考えさせられた師走の入り口

今年もあと1ヶ月
終わりよければすべてよし

そんなベタた文章で終わりにさせてもらおう

2007/11/28

mouse購入

マウスを買った

Logicool:ナノ コードレスレーザーマウス フォア ノートブック VX-N

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価格.comはコチラ

↑学校で借りたパソコンだからアフェリエイトは無し
買ってくれても僕の利益に一切ならない


選んだ理由は、ネット上での評価が高かったから

・・・それだけ

不特定多数無限大に対する信頼

それが虚構なのか真実なのかを知るのは、商品が届く12月2日
結果やいかに

2007/11/26

galaxy countach

昔の記事にも書いたGalaxy Countach八木沢俊樹が西新宿にオープンした、Gallery兼Barである

こんなとこにあります↓↓(新宿駅西口から徒歩5分くらいかな)


拡大地図を表示

秘密基地、小学校のときとかに作った記憶がある人も多いと思うのだけれど、そういうイメージの隠れ家的遊びスポットでございます

フロアはピンクで統一されていて(そこが大の好みw)、ギャラリストである八木沢氏の眼鏡にかなった作品が早いペースで入れ替わり立ち代り展示されている

********************

僕が訪れた11月24日は、八木沢氏が、多摩美の文化祭で見つけてきた才能たちのエキシビジョンオープニングパーティーだった

店に着くのが遅くなってしまって、Artistは1人しか残っていなかったのだけれど、その人と話をすることができた

作品は、ガネーシャをモチーフに、リカちゃん人形の体に象の顔をくっつけて、それが馬の上に乗せられているというもの

像の持つ男性性と人形の胸が持つ女性性の両方を備えた存在というコンセプトがあるのか?と聞いてみたが、そのような意図は全くないようだ

なんとなく作ったというのがその答えだった

確かに、Artistは言語化できない領域を作品に落とし込むという作業をする以上、作った本人がうまく言葉にする必要が求められないという側面はあるだろう

しかし、既存のものとものとを組み合わせたような、奇を衒(てら)ったような作品においては、コンセプトや狙いのようなものを明確にあらわさなければならないと思う

そうしなければ、ただ単に面白いものという域を出ない、その瞬間だけの消費財になってしまう

作品としてのクォリティーを高める上でも、作品として最終的には販売というexitを考える上でも、作品制作の中での狙いのようなものを言葉にする必要は十分にあると思う

別に愚痴を言っているのではない

面白いものを作っているのだから、さらに踏み込んで作品と自己を対峙してもらいたいなぁと感想をもっただけ

********************

その子とのお喋りを終えてからは、その日に出会った歯医者さんと一緒に酒を飲んだ

全く初見の人間同士が気軽に話が出来るというのも、Galaxyの良いところだと思う
その人も、隠れ家的、という評価をGalaxyに寄せていた

皆さんも新宿にお越しの際は、是非、Galaxy Countachへ起こし下さい
熱いオーナーとイケメンのバーテンダーがあなたを迎えてくれるでしょう
(別にココが儲けても、僕に一銭も入ってこないけどね 笑)


あっ、12月の21日にココでクリスマスパーチーしますので、僕の知り合いの方は是非ぜひゼヒ

2007/11/25

「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展in森美術館

まずは地図から(前回のテストの地図と同じになってしまったw)


拡大地図を表示

森美術館のチケットをもらったので、ありがたく見させてもらってきた

この展示はタイトルからして興味があった

多様な日本のアーティストを紹介する「六本木クロッシング」は、現在進行形の美術の動向に注目する森美術館ならではのシリーズ展として2004年にスタートしました。第2回目となる本展では、特に「交差(クロッシング)」の意味に注目し、4人のキュレーターによる活発な議論を通して、枠に収まりきらないエネルギーと影響力をもつ、今見せるべきアーティスト36組を厳選しました。


広告にしたって、クロスメディアなんてことが叫ばれているが、時代が含む多様性というものを一つの観点からでは捉えらずらくなってきているのは実感としてある

多様な視座・観点から対象を観察することが求めらられる時代の要求に、この展示のスローガンは見事マッチしていて、素晴らしいなぁと感じていたのだ

新たな表現方法や素材が見られるのではないかと、心を躍らせた



実際の作品の中で、心を揺さぶられて記憶に残ったのは3つほどあった

美術館に行っても、そのような作品に出会えないことが多くあることを考えると、大漁といってよい

一つ目は剣山のように、ニョキニョキと無数に生えているビル群の作品

見る地点、時間によって作品の表情が変わるというのは素晴らしい体験だ
一瞬いっしゅんで表情が変わる一回性を備えた作品で、ツボを突かれた思いがした

というのも、ネットの恩恵によってもたらされた「いつでもどこでも」という合言葉以降、再現不可能性や場所性、一回性というものに対する強い憧れというものがあるからだ

実感としてあるのは、アーティストの楽曲が無料で手に入りやすくなったことの反比例のようにライブの価値が上がった

音楽に親しむというハードルが下がり、多くの人々に聴かれるようになったことで、生の歌声を聴きたい人間の数を圧倒的に増やしたことがその理由としてあるだろう

そして、そのライブというものこそが、場所性・一回性を備えたものである

話が脱線したが、これからのコンテンツに求められる最上の形態は、時代の流れとは逆行しているように感じられるかもしれないが、再現不可能性にあると考えている

そんな考えを、この剣山の作品は見事に体現していた
素晴らしい

一番の鑑賞スポットは階段横の壁に投影される街の影なんじゃないかと勝手に考えている


2つ目は大きくプリントされた写真が所狭しと並ぶブースである

工場萌えの僕としては、鉄筋やコンクリートがモチーフになった写真は無条件で好きだったのだが、それ以上に僕を虜にしたのは、公園にひっそりとたたずむ象(多分オブジェ)の写真であった

だが、どこがどう凄いの?と聞かれても困ってしまう

象のテクスチャーもにじみ出たピンクも構図も好きだったのだが、何に心をときめかされたのかがイマイチ分からない

書きながら、詳細の絵が浮かんでこないことが腹立たしく感じる
もう一回、行ってこようかな

そうすれば、ドコに惹かれたのかが分かるかもしれない
(ひどい感想だけど終わりw)


3つ目は田中偉一郎の作品(今回、唯一タイトルと名前を見た作品)

この人の作品は・・・うーん、実際に見てみるのが一番だと思う

ニヤけるし嬉しくなってくる

多分この感情は万人に共通なんじゃないかな?説明は要らない
とにかく見れ



資本で芸術作品を囲い込んで、それを小出しにすることで、商売をするようなイメージがあって、巨大な美術館というものは好きになれない

それを教養主義の人々は、ありがたがって2時間も待って見るのだろうけど、そういうものが、本当に作品とのラディカルな関係なのか?ということはいつも考えさせられる

僕は作品を見るときは多くの人の中では見たくないし、何よりも、作品以上に説明の字に見入っている人々を見るのが本当に嫌だ

ただ、そういう文化を作り出している根源に、巨大美術館産業があると思っている(勝手に)

だから六本木界隈の美術館は、集客が見込めるようなヨーロッパの印象派展ばっかりをやるものだと思っていたが、今回のこの展示は違った

クロッシングというコンセプトに沿っていないように思える作品も多くあったが

時代の息吹
才能を日の当たる舞台に押し上げる情熱

そういうものが体感できる展示だった

未来に向けて意義のあるcurationをこれからも森美術館に期待したい



最後に、赤瀬川源平、芸術原論(今回の展示のキュレーターの一人である椹木野衣が解説をしている)の172ページから文章を引用して終わりたいと思う

 ファッションにはもちろん美学的要素があってのことだが、その水準が一列に並んでしまうと、あとはブランド、記号の売買である。
 記号は感覚というよりは勉学のタマモノである。したがって記号を買う人は教養主義の人々である。
 教養主義者とはつぎのような人々だ。デパートの展覧会で、絵の前を通り過ぎて解説の前で立ち止まる人。


あなたは教養主義者ですか?


「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展
田中偉一郎

テスト

久しぶりの投稿

ブラウザを変えた(Firefox⇒Flock)お陰でワンクリックの投稿できるようになったし、これからは頻度を上げていきたい

アウトプットを前提とした人との出会いやイベントへの参加は、得られるものがより大きくなる
そして、それを文字に起こすことで、自分の考えがまとまる

↑小学生の日記のような、当たり前の話すぎて引く 笑


「継続は力である」

耳にタコができるほど聞いた言葉だが、真理であるように思う



今まで、地図にGoogleMAPを使ってこなかったので、ココでテスト


拡大地図を表示

デカイかな?



とりあえず、学園祭で学校が休みの1週間が怒涛の出会いだったので、その辺りから書いていきたいと思う

と、ココに意思表明をしておく

・・・続くかな 笑

Blogged with Flock

2007/07/19

アニヤハインドマーチのエコバッグ先行販売

アニヤハインドマーチのエコバッグが本日の10時から
公式HP上でweb販売される

母親に頼まれ、10時からHPを開こうとがんばっている
しかし、いくらF5ボタンを連打しても
表示されるページは「サーバーが見つかりません」

エコバッグを買うことに費やされる人々の熱量
これのどこがエコだと言うのだろうか?


ファッションには敏感を自負していたが
アニヤハインドマーチなるブランドを
この騒動の中、初めて知った

世の女性を魅了して病まない、このブランドのバッグだそうだが
ことの始まりはハリウッドセレブ(実にいやったらしい響きだ)の
スカーレット・ヨハンソンやシエナ・ミラーが愛用し始めたことに端をなすらしい

普通のバッグは高くて買えないけれど
エコバッグならその100分の1の値段で買える
2100円でセレブの仲間入りができる

なんとも浅はかな理由での沸騰振りだ

インターネットの出現で口コミの伝播速度、破壊力ともに
以前とは比べ物にならないレベルになっている

セレブのファッションは爆発的なスピードで消費され食い尽くされる

そういう流れの速さを知ってか知らずか、セレブは次々と新しい流行を生み出す


まぁこれで経済が回っているのだから良いじゃんという考えはあるだろうけど
なんと中空な消費社会だろうか

ブランドバッグを持つに足る内面の輝きを待たずとも
金の力でバッグに群がる女性たち
この流れは、いつまでも続くのだろうなぁ


サマンサタバサもバーキンもアニヤハインドマーチも
情報が先行してしまうバッグに対しては猜疑心の目で見てしまう

サマンサキングとか持ってる男とは死んでも友達になれそうにないよ
オンライン販売は相も変わらず「サーバーが見つかりません」

2007/07/03

オールスターと2ちゃんねる

今年のオールスターには楽天の選手がズラりだそうだ

2日間のオールスターゲームのうち1試合が宮城で行われるというのだから、この地元のファン票が大きなチカラを持ったことは容易に想像がつくが、この独占には何かの意図を感じずにはいられない

そこで思い出してもらいたいのはこんな事件

2軍の選手が選出されるという実情を見る限り、2ちゃんによる「祭」が行われているのは十中八九間違いないだろう

球団コミッショナーは「意図的な組織票は無い」って言い張っていたけど、それは、地元宮城での大規模な組織票が無かったということであって、全国各地で行われた(であろう)2ちゃんねらーの祭に対して、使われた言葉ではないだろう


松坂以来の高卒ルーキーでトップ得票を集めた田中くんが「選んでもらったファンのためにも、自分の最高のプレーをしたい」というのは実に眩しい発言だ

18歳を持ち上げて、陰で笑うというのは、とても寂しい感じがするなぁ

祭に途中から参加する人のモチベーションとやらを今度、是非とも聞いてみたいものだ

2007/06/26

すごく久しぶりの投稿

三日坊主という言葉がある
このblogのことであろうか
実に嘆かわしいことである

更には「blogを書くまでのプロセスが面倒なんだよなぁ」
とインターフェースに責任転嫁をしている具合を見るに
実に始末に悪い

livedoor Readerも1800の記事を蓄えており
ネット世界の中で生活してない時間の長さを
その数をもって知る運びとなる

~~~

ノルウェイの森とかの、少し前の青春小説とかを見ると
今、上に書いたような話し言葉を使う人間がしばしば出てくる
そういう人間は、右の翼にしろ左の翼にしろ
社会の中での自分の役割(のようなもの)を自覚していて
思想、意見の異なる人間と議論をするという場面が多くあった
少なくとも、現代と比べると多くあった

人と議論をすることはパワーを必要とし
尖った部分がぶつかり合うのは痛い

不必要(だと現代人は感じる)な摩擦が生まれ、人間関係はギクシャクする
だったら、そんなことはしないで、丸く丸くなる他、仕方がない

母性的なコミュニケーションである相槌は男にまで広がった
「○○らしいよ」「へぇ~そうなんだ~」
「あの芸能人チョ~面白くない?」「うんうん」

昨日行ったトークショー宮台真司氏が言った言葉はこの社会の様相を上手く表していた

「涙は豊かさではなく貧しさを表すようになった」

ヴィトンを抱えるあの子を非難するつもりはないし
ギャルゲーで興奮する彼を卑下するつもりもない

ただ、二次元的な記号を求めることが、凸と凸がぶつかり合って建設的や創造的な空間や議論や友情を作り出すことと反対の方向に突き進むことならば
ボクは深さや奥行きや長さや高さがある立体になりたいと思う
目の前の馴れ合いよりも先の関係を大事にしなくてはいけない

駄目な映画を盛り上げるために 簡単に命が捨てられていく
違う僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ
(Mr Children)

逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ
(新世紀エヴァンゲリオン)

死にオチの映画を笑ってみるのもいいんじゃないでしょうか
横で泣いてるあの子にワンパンチとか(出来やしないのだけれど)憧れます

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦

トークショーはこの本の出版を記念して企画されたもの
二次元的な相槌もなければ、対談に見られるリズムのよさ(短い掛け合い)もない本
技術者最強説みたいな感じは全編に通じてみられるけど一読の価値あり

2007/06/09

「日本のグラフィックデザイン:ジャグダ1981〜2006」展

に行ってきた

初めてのミッドタウン、その5階が展示スペースになっている
住所は:東京都港区赤坂9-7-1



どこを見てもポスター、ポスター、ポスター、ポスターという展示

ポスターというものは、小学校のクラスに1~2人いる優秀な子の優秀な答えのような印象を抱く
面白味には欠けるけれど先生は満足みたいなそんな感じ
お利口なさんなそこ子は、要点を抑えて褒められる術を知っている
良い成績の取り方を知っている

地球を守ろうと声を荒げているあの人は、朝、歯を磨いているときに水を流し続けているかもしれない
世間では教育熱心なパパと呼ばれて賞賛を浴びているあの人は、家に帰れば子供を、そして妻を殴るような人間かもしれない

そういう風に、誰でも『見せかけ』だけはキレイでいられる
ポスターって何か同じような感じなんだよなぁ

核撤廃を叫んだところで、北の国の狂気はとめられないだろうし、世界の親分は兵器な顔して平気を持ち続ける現状は変えられないさ

まぁ意識を持たせることは重要だと思いますよ、ソコから何かが変わるかもしれないし
ってことで、この文章終わり
あれ、逃げてんじゃんって?笑
んじゃ、もう一個だけ書かせてもらいましょう

会場には緑のバッジを胸に付けて誇らしげなじぃ様たちが大勢いるわけです
その人たちの口から出てくる言葉は
「素敵な場所になったね」だの「ミッドタウンすごいじゃない」だの「お客さんも多いし、大盛況だなこりゃ」を連発
何ていうか展示された作品に対する愛が欠けているようで寂しかった

アートスペースの名前をデザインハブにしたことは素晴らしいと思う
ネットワークの重要性が叫ばれる今日、特に多くのリンク(人と人との繋がりなど)を持っているノード(点、まぁ人とかルーターとか)のことをハブと呼ぶ
ハブは価値と価値のコネクターだったりとネットワーク全体が大きなチカラを発揮する原動力となる柱だ
この名前のチョイスは素晴らしい

だけど、このハブに繋がっているリンクは、愛や情熱や明日ではなくて、富や権力や昨日という印象を受けた
レセプションの日に集まってじぃ様同士が盛り上がるのは結構だが、作品を集中して見たい来場者にとっては雑音でしかないんだなぁ


「日本のグラフィックデザイン:ジャグダ1981〜2006」展

2007/06/04

そのときは彼によろしく

評価:★★★★☆(4つ星)

誰もが誰かの触媒であり、世の中は様々な化学反応に満ちている。それがきっと生きているってことなんだと思う。(原作366ページより)

市川拓司原作の映画化はこれ3つ目だ
『恋愛寫眞』、『今、会いにゆきます』、そして『そのときは彼によろしく』
毎回感じることは、小説を映画が越えられないなぁ、ということ

彼の描く世界に共通して見られる特徴に、SFファンタジー的なフィクションがある
上記の3作品ではないが、水の中でしか生きられなくなってしまう少年や、年がどんどん若くなる女性などがその例だ

そして『そのときは彼によろしく』も市川ワールドが全開の作品
しかし、彼はその唯一のフィクションが存在する世界を、実に緻密に描写する技術があり、違和感のようなものは全く感じない
むしろリアリティすら持っている

そして、表現手段が小説ということも大きな要因だと言える
というのも、小説は不完全なメディアゆえに、視聴者による補完が多くなされるからだ

文字で「絶世の美女」と書けば受け手は誰もが頭にある絶世の美女を浮かべる
これが映画などではそうはいかない
映像に映るヒロインへの評価というものは人によって異なるからだ
視覚的な情報は視聴者の主観で決まってしまう

この視聴者による補完が、彼の作風である緻密に描かれたフィクションにリアリティを持たす役割を果たしている
少々強引な場面があったとしても、受け手は最大限の想像力を働かせてズレを修正してくれる

そしてそれが最初に言った、どの映画も小説を越えられない理由ではないだろうか?
つまり彼の世界を映像として伝えることの難しさがあるのでは?ということだ

作り手はフィクションが存在する世界に対してリアリティを演出しづらく
受け手はどこかぎこちない映像に感情移入しづらい

こういった問題が市川小説の映像化に際して大きな障害としてあるのだろう
『そのときは彼によろしく』も、その壁を越えることが出来なかったように感じる

とまぁ色々と映画に関してマイナスとも取れる発言をしているが、小説を直前に読んでから行った身としては設定にやや不満はあるけれど、作品自体はかなり楽しめた
ヒロインの幼少期のを演じた女の子の演技は光っていたし、よくありがちな小説を見てないと分かりづらい作品にもなっていなかった

確かに小説は越えることは叶わなかったが星は4つあげても良いとと思う
普通に満足

===

映像とは関係のないところで思ったことを2つ


幼少期の別れのシーンで別れ際にキスをするという場面がある
数ある場面の中でもとりわけ印象深いシーンであると共に小学生同士のキスという絵が持つパワーも強く、甘酸っぱい思い出として上手に描かれている

が、が、しかし、問題はそんなことではない
役を演じていた子供たちの年頃において、キスがどれくらい意味深いものであるかということだ
熟女とおっさんが舌同士をベロベロさせようがグチョグチョさせようが、そんなのどーでもいい
ただあの子たち位の年代というのは、徐々に異性を気にするようになったり、今思うとどーでもいいことで死ぬほど恥ずかしがったり、どーにかして好きなあの子と手を繋ぎたいって悩んだりするという甘酸っぱい時代だったと思うんだ

商業ベースに乗せられた彼女たちの本来あるべき、あの年代の子が必ず抱くべき、恥ずかしさや異性に対する興味・妄想みたいなものが、大人たちの都合によって奪われてるとすると、とても胸が痛くなる
そんなことを見ながら感じていてテンションを落としてまった


ちゅらさんってNHKの連続テレビ小説があった
国仲涼子が姉ちゃんで山田孝之が弟として登場する

・・・はい、この映像のキャストです
構図としては姉ちゃんが弟に片思いするというものでした

プロダクションの関係とか、使える若手俳優のリソース不足とかで、選択肢が少ないということはもちろん分かるんですけど、ちゅらさんが好きだったばっかりに、映画の世界に入っていきづらいなぁという感じを受けました

そのときは彼によろしく

2007/06/02

「Toshiki Yagisawa Selection Ver.1.0」展

場所が分かりにくい
というか同じ番地を20分間徘徊してしまった

大江戸線の落合南長崎駅から道なりに進んで、セブンの手前の建物の3階
特に目立つ看板とかがないから注意とりあえずセブンの手前の建物の3階



6~7坪ほどのワンルームに6名のアーティストによる9つの作品が展示してある

アートアワード東京2007にも出展していた谷口真人氏の作品などもあり全体的に惹きつける魅力のある作品が多い

しばらく作品を見て回っていると、一人の男性が声を掛けてきた
彼の名前は八木沢俊樹
このギャラリーのキュレーターである

しばらくキュレーションがネットと結びつくことで創造される価値と、アーティストと出会えるキッカケが増えたという話で盛り上がる

確かに、この企画を知ったのもTabでのコメントの多さに興味を持ったという経緯があり、キッカケとしてウェブは大きな意味を持っている
個人が情報を発信するコストが無料になったことでバイラルは加速した
実際問題、彼が10年前に同じキュレーションをしたところでこれほどの大盛況は見せなかっただろう

本当にいい時代になったものだ

そして、やはり実際に作品と触れることのできる物理的な場というものの重要性も改めて感じさせられた
心の中にはウェブは万能だという感情があり、元手を要することなく新しい時代のキュレーションを確立することが出来ると考えていたが、実際の空間の持つエネルギーというものはやはり大きいし全てだ

ただ、八木沢さんのような、いち若者がギャラリーを持ち、集客を出来るようになっている事実もまたウェブの恩恵によるものであり、キュレーション2.0が市民権を得る日も近いのではないか?

しばらく話し合った後「いっぱいアーティストを抱えるようになったら、専用のウェブで、興味のある人たちに作品に投票をしてもらって、その結果の上位作品を展示するとかも面白そうですよね?」と聞いてみると「でも最終的なフィルターはオレだし、そこが価値だから、点数とかっていうのは好きじゃないなぁ」と一瞬で切り返される

もちろん八木沢さんの眼鏡にかなったのだけを本戦という形で投票のレースに載せるという意味で言ったのだが、まぁそんなことはどうでもいい
彼のキュレーターとしての信念みたいなものをガツンと感じることが出来たし満足だ
こういうパワーが時代を引っ張っていくものだと思っている
信念や狂気、怒り(ココでは関係ない)が大きなパワーを生むのだ

よいしょする訳ではないが、若さと熱さを兼ね備えた八木沢さんからはしばらく目が離せない
要チェックだ
負けてはいられないが、彼の活動には大きな興味を抱いている

一緒になって面白いことができたら更に最高だ
どうでしょうか八木沢さん?笑

東京都新宿区西落合4-3-1 フジビル3Fでの夕

30分ほどお喋りをして刺激を貰った後の空は綺麗だった

次に彼に会うのは7月の中旬に新宿にオープンするというバーでだろう
それも激しく楽しみだ


「Toshiki Yagisawa Selection Ver.1.0」展

2007/06/01

「INDEX #3 経験の効用」展

場所はココ↓↓



「INDEX」展は2005年に京都造形芸術大学の運営するアートスペースARTZONEで第一回目が開催されました。2006年には、ARTZONEに加え、トーキョーワンダーサイトでの展示を行い、第3回目の今回は、さらに規模を拡大し、京都展は京都精華大学のアートスペースshin-biも加わり、京都展二カ所、東京展一カ所の計三カ所で開催されます。出品アーティスト10名は殆どが80年代生まれの20代の若手アーティストです。また、この展覧会は若いアートマネージメントを志す者が、同年代のアーティストの展示を行う試みとなっています。


と、こういう趣旨の企画展

その中から特に印象的だった2人の作品をピックアップしてみたい

「INDEX #3 経験の効用」展-3

「INDEX #3 経験の効用」展-4

タイルに描かれた美しいエメラルドグリーンの点と線
ネットワーク論への強い興味がこのノードとリンクによって構成されている作品に対して、ポジティブな評価をする結果となっているかもしれないが、そもそもの、色使いや素材の選択という点に作者のセンスの良さを感じた

「INDEX #3 経験の効用」展-2

「INDEX #3 経験の効用」展-7

この作品は視点が好きだ
ピアノを演奏している映像と共に出展されていて、インスタレーションと絵画の中間に位置するような作品だ
テーマの設定や世界観の統一性からは作者の戦略的なアートという一面を感じることができる
その決意のようなものが、この作品を他の作品との違いなのだろう

作りたいものを作るということが芸術だと考えられている状況を村上隆は真のアートではないと語っているが、その点において、この2作品は際立っていた
どのような戦略、思想によって考えられているのかを、実際に連絡を取って聞いてみたいと思ったのものが、素敵だと感じたこの2作品である


「INDEX #3 経験の効用」展

2007/05/31

平野啓一郎について

はてブの人気エントリーを見ていると、平野さんのblogがあった

記事はてブを集めやすい「技術系ネタ」や「小ネタ」ではなく、慙愧(ざんき)という単語からの言葉の曖昧さについて書かれたもので、決してギークや情報通(多くのはてブユーザーの層)が喜ぶような記事ではないような気がする

では、何故この記事は47もの被ブックマークをされているのだろうか?

そこには、リンクとノードによって構成されるネットワークの特性が人間社会にも多く見られるようになってきてることが関係しているように感じた
リンクによる価値の移譲というGoogleが提唱しているモデルがリアルな社会にまで波及しているのではないかということだ

平野さんは昨年ウェブ人間論において、梅田さんと対談をしている
梅田さんといえば、「これからのネット社会を知りたいなら彼に聞くべきだ」「ネットの利点を楽観的に説いて多くのネットユーザーを増やしている、素晴らしい」といった感じで、ウェブを知らない人と知っている人とをコネクトすることに関して、誰もからも信頼を寄せられている人だ
彼のblogは1日10,000ビューにも及ぶらしい

そしてこの対談は、平野さんが梅田さんと太いリンクで繋がったことを示している

このblogがYahooのトップページからリンクが張られたら、検索によって見つかる確率はグッと上がる
湘南台の駅は小田急線・横浜市営地下鉄・相鉄線という3つのリンクで新宿や横浜と繋がっているために家賃が隣の駅に比べても断然高い
それらと同じようなことが平野さんに対しても起きたのだ

理想的なSEO対策だ
・・・人間SEOって何だって話ですだけれども 笑

まぁ何が言いたいのかと言えば、コレまでの社会以上に人とのリンクが重要になってきている時代だし、何事にも開いていたいですね、ってこと

ただ、平野さんはウェブ人間論の中で(53ページ)こう語っている

アイツと付き合うとこんないいことがある、オレと付き合うとこういう得がある、だから友人でいようという「有益性」が前提とされる友人関係というのは、個人的にはちょっとカンベンしてほしい気がしますね。

大賛成

だからあくまで、開いていることの重要性を強調したいだけであって、がっつくことを推奨しているわけではない
リンクによる価値の移譲がより顕在化してくるときに、恥ずかしい自分SEO対策とかは、絶対にやりたくないしたくないものだ

と長々書いてきたが、これが一番重要

何と動いてる平野さんをを見ることができる
うちのガッコに彼が来て講義を行ったときのビデオだ
興味があるひとはコレからどうぞ

僕も近々見て感想を書いてみたいと思う
このビデオが共通のテキストになるというのも面白い

2007/05/29

Youtube初体験

夕食が終わって、母親とお喋り

話題は、最近の母のお気に入りだという柳原加奈子
母曰く「販売員のネタが面白いのよね~」とのこと

「Youtubeに上がってるんじゃない?」
かなりの確率でヒットすると思い、ようつべで検索
・・・あった(まぁ期待通り)



続いてチュートリアルやラーメンズの映像も続けて見せる

おかん:これってお金とかかかるんでしょ?

ぼく:んにゃ、タダだよ

おかん:えっ!?こんなに笑わせてもらってタダなの?

ぼく:うん、だって誰かが勝手に映像をみんなが見えるようにしてるだけだもん、まぁテレビの映像とかだとすぐに消されちゃうことが多いけどね

おかん:すごい時代になったわね~シミジミ

インターネット=何だか危ないし怖い
こういう先入観を抱いていた母の感動は見ていて分かった
目が輝いている


そー言えば小公女セーラが大好きだったという話を思い出す
僕も驚いたが大量の映像がヒット

感激の母

ブラウザのホームに小公女セーラを検索したYoutubeを設定し、デスクトップ上の左上にIEのアイコンを置いて、暇なときにでも見てみなよと提案
ダブルクリックを実技指導


人類が始めて月面に着陸をした時代を知らないけれど、Youtubeを知った母の目はきっとその感動に近いものがあった
本当に好奇心に溢れた顔をしていた

良いことをしたなぁ

Youtubeがより好きになった5月の夜

2007/05/28

digmeout.netと木野下円

浪人時代にある雑誌をジャケ買いした

digmeout〈04〉

表紙のイラストがとてもキャッチーで、ひたすらポップで、めっちゃ可愛い
完全な一目惚れだった

この愛くるしいキャラクターは木野下円によって描かれている

この彼女はdigmeoutという企画によって知名度を上げるキッカケを得た

アートする大阪のFMラジオ局「FM802」が行っているアートプロジェクトが、「digmeout」です。これからの活躍が期待される若きアーティストたちを「digout(発掘)」して、局のビジュアルに積極的に採用。局の制作するポスター、ステッカー、番組ガイドなどの媒体などを通じて作品を紹介しつづけています。2001年7月には、アーティストたちを広く全国・世界に紹介するアートブック「digmeout」を創刊。現在4号まで発行されています。「digmeout」は日本全国はもとより、広く海外にもリリースされており、すでに多くの海外アーティストやエージェントからも様々なオファーが舞い込んでいます。この「digmeout」の創刊を契機に、このヤングアーティスト発掘プロジェクトは世界レベルで注目を集め、「digmeout」で特集された作家の中からは、全国区で活躍するスタークリエイターが次々に生まれてきています。


このプロセスはCuration2.0と言えるかもしれない
美術館はどこにも出てこないし、権威の存在もない

ラジオという媒体によって知名度を高めたdigmeoutは、視聴者の層が絞り込める点にネットとの類似点を多く見つけることができる
興味のある人に興味のあるコンテンツをぶつけてやれば効果は大きい
簡単なことだ

そして、何よりもdigmeoutから大きな仕事へステップアップしている人がいることが勇気を与えてくれる(中村佑介enaなどが最たる例である)

この道しるべが、ラジオベースなのに対して、ベースが何もない状態から如何にして同じ土俵に立つか
それを考えるのは難しくも楽しい

テクノロジーによって拡張された個人の力
それを信じて進んでみよう

2007/05/23

bloggerでトラックバック

ようやくgoogleの検索に引っかかるようになったことだし、友達にblogを新しく作ったんだと報告

開口一発、「何でbloggerなんかで作ったの?トラックバック打てないじゃん」
僕、「いや、普通にコメントで良いいでしょ」
彼、「コメントはコメントじゃん、梅田さんにトラックバックできないよ~、良いの?」

半分、脅しだ

だが、出来ないよと言われると拡張のサービスを探してやると逆に燃える
ウェブ空間というものは不自由なものがすぐに改良される世界なのだ

帰宅後すぐに「blogger トラックバック」と検索

おっ、いっぱいヒットしたし、こりゃ期待できる
ってことで、一番上に表示されたクリボウのBlogger入門をクリック

どうやら、トラックバックを貰ったり打ったりすることが『HALOSCAN』を導入すれば可能になるらしい

詳しくはクリボウのBlogger入門をご覧くださいまし

Sign upして、htmlのフォーマットを上書きして、時刻直して、文字コード直して・・・
あっという間にコメントとトラックバックを貰えるようになった

って、このままだと自分からトラックバック打てないじゃんか、と呟きながらも記事を下に読んでいくと、Hit Okano's Blogへのリンクを発見

この記事によると、完全に自動でトラックバックは打てないが、HALOSCANを使うことで、手動でトラックバックを打つことが可能とのこと

苦節10分、とうとうこのblogもトラックバックを打てるようになった 感激

やっぱりウェブってすげーやと、心から感謝

明日にでも、今日の勉強会+サロン÷2(参照)で議論したフューチャリスト宣言の記事を、当の本人にトラックバックしてみるというイベントをやってみようかな

我がblogよ、この調子でどんどん機能を拡張してレベルアップしてくれたまえ

2007/05/22

レッドブルよりも効く

大学の友達を中心として勉強会とサロンを足して2で割ったようなものを日常的にやっている

本やテレビの放送、blogの記事などで、広い意味で刺激的なものを、メーリングリストを使って共有し、見たり読んだりしたときに抱いた各々の視点を共有したり主張し合ったりするというものだ

大学の素晴らしいところは、教育の水準にあるのではなくて、知的リソースが高い密度で集まることであり、そこでの出会いや発見の可能性が高いというところにある

本来の人との出会いというものは偶有性に溢れたものではある
だが、出会えるキッカケが多い大学という環境は、人との出会いがより最適化されていくように感じる

話が脱線気味なので戻すが、共有するコンテンツ、特にテレビの番組で、最近ホットなのが『プロフェッショナル仕事の流儀』だ

個別の放送への感想は他の記事に改めて書くことにするが、この番組は毎回、鳥肌を立たせてもらっている

ナレーションやテロップはゲストの仕事の流儀を効果的に伝える
そして、何よりも視聴者をゾクゾクスさせるのがガシカオが歌う『Progress』だ



番組を見てる人と見てない人では感動の度合いが違うかもしれないが

見た人は、この映像で活力をもらってほしい
見てない人は、まず番組を騙されたと思って見てほしい

どっちの人も、レッドブルよりも即効性のあるエネルギーをチャージできるだろう

うまいことに本日の22時からNHKで放送される

和泉多摩川が泉多摩川ではいけない件について

多摩川にてバーベキュー



食べるのに夢中だったからBBQ中の写真はない 笑

多摩川から見る日の入り

ネットワークについて興味がある友達同士が新たなリンク(友情など)を獲得する場として、今回のBBQを開催

グラフと建築をマッチングさせて視覚化させたいと考えてるヤツや、バラバシの本に感動した建築学科修士のヤツ、バイオの研究でperlなどのプログラミングをやってるヤツら、可能性にスゴく可能性を感じてるヤツといった感じで、僕の周りにある知的リソースとしてはかなりのレベルが終結した

すごい話が期待できる

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く

ただ難点はBBQだったということ 笑
ぐだぐだ感は好きなんだけど、いかんせん話が脱線だっせん

そんな感じで深い話には進展しなかったけれど、初見の人だらけの場で有益なリンクが張られたんじゃないかって思ってる

こういう場はどんどん増やしたいもんだ

簡単なネットワークの特徴として、リンクを多く獲得すればするほど、より多くのリンクを獲得できるようになるというものがある

ネットワークを拡げることでコラボレーションやら化学反応やらを意図的に起こしたい

実験じっけん♪

水切り


家に帰ってから『ソラニン』を読んだ

初めて降り立った和泉多摩川
この作品の舞台がココだったということを、今さら思い出す

表紙にも52ページにも170ページにも181ページにも
見た景色がそのまま描かれている 上手く言語化できないけどゾクゾクする

ソラニン 1 (1)

和泉多摩川に行った後のソラニンは、いつもに増して胸の奥がズキンと痛む本でしたとさ

2007/05/20

リアルのためのフィクション展

東京国立近代美術館に行ってきた

場所はココ↓


東京国立近代美術館

本展で紹介する4人のアーティスト―イケムラレイコ、ソフィ・カル、やなぎみわ、塩田千春―は、扱う素材も、「リアル」なものに迫ろうとするアプローチの仕方も、さまざまですが、彼女たちはみな、ある種のフィクション(虚構)をしつらえて、それを通して逆説的に、私たちに「リアル」なものの扉を開く鍵を示しているようにみえます。リアルのためのフィクション。彼女たちが静かにあるいは饒舌に語りかける物語は、あなたの「リアル」を感じる力を揺り動かすことでしょう。

にある通り、4人の現代アーティストの展示

1時間ぐらいこの展示を見ていたが、45分はやなぎみわに使われた



この作品を見たときのメモ
もう一つの展示作品とは、違った意味で対比を成している作品。光と闇、ハイトーンの赤と暗い赤、希望と絶望。左の作品では花、右の作品では女がどのような意図でそれぞれ陳列されているのかは分からないが、ダークな花とポップな女の比較には、なにやらパワーを感じる。物体として記号としての女が、この写真においてどのような役割をはたしているのだろうか、画一的で均質的な女たちが、並べられ、捨てられる。消費社会の闇を一方では明るく、一方では暗く暗示しているような作品だ。

また、彼女はもう1つ、作品を出展していた
そのメモ
写真と写真の間までdesignされているような印象を受ける。完全な補色関係ではないが、赤(くすんだ紫のような赤)と、青(緑と混じってはいるが澄んだ青)のコントラストの中に、上手く白が配置され生かされている。女の白。ライトの白。そして、写真の間にある白い壁。そこまで考えて撮られているとすると恐ろしい。サークルがモーチーフにされているように感じるのは気のせいだろうか?

とても妖艶なチカラをもった写真で、完全に時間を忘れて没頭させられた
おススメ

次にイケムラレイコの作品



私は基本的には、タイトルを作品よりも先に見ることはしない
タイトルをつけるところまでが作品作りじゃないか?と怒られてしまいそうだが、まずは、無心で作品と向き合い、あれこれ考え、最後にタイトルを見るという流れが基本である

彼女の作品を見てのメモ
女の子が菜の花の上で寝ているのだろうか?それとも、人形が黄色のシーツの上に捨てられているのだろうか?いや、見方によっては老婆にすら見える。ん?もしかして、この被写体は腕が途中でなくなっている?爪のようにも見えるが切断されているようにも見える。何故うつ伏せなのだろうか?捨てられて泣いているのだろうか?そもそも、これはトルソーかもしれない?想像を掻き立てるキーワードは、黒い顔だろうか。その見えない顔を補完しようと、脳が活発になり思いを馳せるのだろう。

本当に色々なことを考えさせられた
そして改めて、芸術作品との対峙においてこの思いを馳せるという時間が私は一番好きだということを感じる
芸術と触れ合うということは、まさにこの瞬間のことを言うのではないだろうか?

一体どんなタイトルがこの作品につけられているのかと、心を弾ませて見てみると、「横たわる少女」こう記してあった

この作品の鑑賞に関しては、持論に分があるように思う
先にタイトルを見てしまったら、メモにあったような考えは出てこなかっただろう


4人のうち2人が写真を表現に使っている点は面白い
というのも、私は写真における社会の切り取りが、リアルに限りなく近い(ように見える)虚構であると感じているからだ

欲しい絵になるまで、何枚も撮っては消してを繰り返すことを可能にしたデジカメ
撮り終わった写真の構図の再構成を、切り貼りによって可能にするフォトショップ

もはやカメラの持つ真実味というものは、テクノロジーの進歩によって、大きく揺らいでいる
芸能人の男女がたまたま親しく喋ってる写真を、人々は熱愛発覚だの最高のカップルだのはやし立てる

写真に対する信憑性は、カメラの進歩に置いてけぼりをくい、作り込まれた情報を人々はいつまでも真実だと信じている

フィクションによる(によって提供される)リアルだ

何でも作りこめる今だからこそ、私たちは選球眼を鍛えなくてはいけない
フィクションに踊らされるのではなく、フィクションによって味付けされたリアルを楽しく生きよう

フィクション>リアルからフィクション<リアルへ

情報の渦はこれからも肥大化する一方であり、この2007年という時代にこの展示を行う意味というものの重要性は大きい

「リアルのためのフィクション」展

Art Award Tokyo2007

行幸地下ギャラリーで行われているArt Award Tokyo2007を見てきた

会場は丸ビルと新丸ビルの間にある地下通路

大体の地図はココ↓


会場についてまず最初に感じたのが、展示スペースとしての設計がなっていないということ
確かに地下通路ということを考えると十分な明るさや十分なスペースという条件があるだろう
しかし、コンビニのような明かりをガラスが反射して、展示の作品が十分に鑑賞できない点は残念に思う

値段の張る凄い額縁に、例えば幼稚園児の描いた絵を入れたとして、それは藝術作品に見えてしまうものだ
それはつまり、いくら作品自体が魅力的だとしても、その展示の環境が劣悪であればその作品自体の完成度というものは半減してしまうということでもある

行幸地下ギャラリー

反射はもちろんのこと、作品の前でガラスが切れてしまうこともマイナス評価

Art Award Tokyo、劣悪な展示環境

そんな作品を見る集中力を欠いている中、一つの作品の前で足が止まる

Art Award Tokyo展示作品

馬場晋作という方の作品

ステンレスをカンバスに油絵で作品を描いているのだが、見る側が作品に映りこんでしまうことまでも作品の範疇にしているかのようだ
ガラスに反射する光、僕、他の作品、そういうものを飲み込むパワーのようなものを感じた

この桜を描いたものの他に、シャンデリアを描いているものも、ゴージャスな感じが出ていて好きだ

また、映像のため写真は撮らなかったがAIMASの人が出品していたものは面白い
ネタバレになってしまうから言わないが、会場に足を運んでナマで見てもらいたい

以下、何となく惹かれて撮った作品

Art Award Tokyo大賞作品

Art Award Tokyo展示作品

DSC_4313

見に行って思ったことは、やっぱり芸術活動は素晴らしいなぁっていうことの再認識と、作品を展示するスペースの増加でアートがより身近なものになってきているなぁということだ

より消費されるものとしての側面が強くなったなどの意見はあるだろうが、芸術鑑賞の間口が広がることには素直に嬉しい 全体的な底上げになる

一方で、このような現象は都心部にだけ起きているムーブメントの気もする
都会と田舎の藝術への興味の差といものは非常に深刻だ

直島の地中美術館や水戸美術館のように、藝術を地方の財源として活用する流れこそが、その都市と田舎の差を縮めるための良いヒントではないか

と、まぁblogを新しくしてての記事で、熱く語ってますが 笑
無料だし、新名物の新丸ビルにお越しの際は、ちと寄ってみてはいかがでしょう


行幸地下通路の掲示板

電光掲示板の字がピンクだったから、感動のあまりシャッターをきってしまいました

アート アワード トーキョー 2007