2007/11/25

「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展in森美術館

まずは地図から(前回のテストの地図と同じになってしまったw)


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森美術館のチケットをもらったので、ありがたく見させてもらってきた

この展示はタイトルからして興味があった

多様な日本のアーティストを紹介する「六本木クロッシング」は、現在進行形の美術の動向に注目する森美術館ならではのシリーズ展として2004年にスタートしました。第2回目となる本展では、特に「交差(クロッシング)」の意味に注目し、4人のキュレーターによる活発な議論を通して、枠に収まりきらないエネルギーと影響力をもつ、今見せるべきアーティスト36組を厳選しました。


広告にしたって、クロスメディアなんてことが叫ばれているが、時代が含む多様性というものを一つの観点からでは捉えらずらくなってきているのは実感としてある

多様な視座・観点から対象を観察することが求めらられる時代の要求に、この展示のスローガンは見事マッチしていて、素晴らしいなぁと感じていたのだ

新たな表現方法や素材が見られるのではないかと、心を躍らせた



実際の作品の中で、心を揺さぶられて記憶に残ったのは3つほどあった

美術館に行っても、そのような作品に出会えないことが多くあることを考えると、大漁といってよい

一つ目は剣山のように、ニョキニョキと無数に生えているビル群の作品

見る地点、時間によって作品の表情が変わるというのは素晴らしい体験だ
一瞬いっしゅんで表情が変わる一回性を備えた作品で、ツボを突かれた思いがした

というのも、ネットの恩恵によってもたらされた「いつでもどこでも」という合言葉以降、再現不可能性や場所性、一回性というものに対する強い憧れというものがあるからだ

実感としてあるのは、アーティストの楽曲が無料で手に入りやすくなったことの反比例のようにライブの価値が上がった

音楽に親しむというハードルが下がり、多くの人々に聴かれるようになったことで、生の歌声を聴きたい人間の数を圧倒的に増やしたことがその理由としてあるだろう

そして、そのライブというものこそが、場所性・一回性を備えたものである

話が脱線したが、これからのコンテンツに求められる最上の形態は、時代の流れとは逆行しているように感じられるかもしれないが、再現不可能性にあると考えている

そんな考えを、この剣山の作品は見事に体現していた
素晴らしい

一番の鑑賞スポットは階段横の壁に投影される街の影なんじゃないかと勝手に考えている


2つ目は大きくプリントされた写真が所狭しと並ぶブースである

工場萌えの僕としては、鉄筋やコンクリートがモチーフになった写真は無条件で好きだったのだが、それ以上に僕を虜にしたのは、公園にひっそりとたたずむ象(多分オブジェ)の写真であった

だが、どこがどう凄いの?と聞かれても困ってしまう

象のテクスチャーもにじみ出たピンクも構図も好きだったのだが、何に心をときめかされたのかがイマイチ分からない

書きながら、詳細の絵が浮かんでこないことが腹立たしく感じる
もう一回、行ってこようかな

そうすれば、ドコに惹かれたのかが分かるかもしれない
(ひどい感想だけど終わりw)


3つ目は田中偉一郎の作品(今回、唯一タイトルと名前を見た作品)

この人の作品は・・・うーん、実際に見てみるのが一番だと思う

ニヤけるし嬉しくなってくる

多分この感情は万人に共通なんじゃないかな?説明は要らない
とにかく見れ



資本で芸術作品を囲い込んで、それを小出しにすることで、商売をするようなイメージがあって、巨大な美術館というものは好きになれない

それを教養主義の人々は、ありがたがって2時間も待って見るのだろうけど、そういうものが、本当に作品とのラディカルな関係なのか?ということはいつも考えさせられる

僕は作品を見るときは多くの人の中では見たくないし、何よりも、作品以上に説明の字に見入っている人々を見るのが本当に嫌だ

ただ、そういう文化を作り出している根源に、巨大美術館産業があると思っている(勝手に)

だから六本木界隈の美術館は、集客が見込めるようなヨーロッパの印象派展ばっかりをやるものだと思っていたが、今回のこの展示は違った

クロッシングというコンセプトに沿っていないように思える作品も多くあったが

時代の息吹
才能を日の当たる舞台に押し上げる情熱

そういうものが体感できる展示だった

未来に向けて意義のあるcurationをこれからも森美術館に期待したい



最後に、赤瀬川源平、芸術原論(今回の展示のキュレーターの一人である椹木野衣が解説をしている)の172ページから文章を引用して終わりたいと思う

 ファッションにはもちろん美学的要素があってのことだが、その水準が一列に並んでしまうと、あとはブランド、記号の売買である。
 記号は感覚というよりは勉学のタマモノである。したがって記号を買う人は教養主義の人々である。
 教養主義者とはつぎのような人々だ。デパートの展覧会で、絵の前を通り過ぎて解説の前で立ち止まる人。


あなたは教養主義者ですか?


「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展
田中偉一郎