2007/05/31

平野啓一郎について

はてブの人気エントリーを見ていると、平野さんのblogがあった

記事はてブを集めやすい「技術系ネタ」や「小ネタ」ではなく、慙愧(ざんき)という単語からの言葉の曖昧さについて書かれたもので、決してギークや情報通(多くのはてブユーザーの層)が喜ぶような記事ではないような気がする

では、何故この記事は47もの被ブックマークをされているのだろうか?

そこには、リンクとノードによって構成されるネットワークの特性が人間社会にも多く見られるようになってきてることが関係しているように感じた
リンクによる価値の移譲というGoogleが提唱しているモデルがリアルな社会にまで波及しているのではないかということだ

平野さんは昨年ウェブ人間論において、梅田さんと対談をしている
梅田さんといえば、「これからのネット社会を知りたいなら彼に聞くべきだ」「ネットの利点を楽観的に説いて多くのネットユーザーを増やしている、素晴らしい」といった感じで、ウェブを知らない人と知っている人とをコネクトすることに関して、誰もからも信頼を寄せられている人だ
彼のblogは1日10,000ビューにも及ぶらしい

そしてこの対談は、平野さんが梅田さんと太いリンクで繋がったことを示している

このblogがYahooのトップページからリンクが張られたら、検索によって見つかる確率はグッと上がる
湘南台の駅は小田急線・横浜市営地下鉄・相鉄線という3つのリンクで新宿や横浜と繋がっているために家賃が隣の駅に比べても断然高い
それらと同じようなことが平野さんに対しても起きたのだ

理想的なSEO対策だ
・・・人間SEOって何だって話ですだけれども 笑

まぁ何が言いたいのかと言えば、コレまでの社会以上に人とのリンクが重要になってきている時代だし、何事にも開いていたいですね、ってこと

ただ、平野さんはウェブ人間論の中で(53ページ)こう語っている

アイツと付き合うとこんないいことがある、オレと付き合うとこういう得がある、だから友人でいようという「有益性」が前提とされる友人関係というのは、個人的にはちょっとカンベンしてほしい気がしますね。

大賛成

だからあくまで、開いていることの重要性を強調したいだけであって、がっつくことを推奨しているわけではない
リンクによる価値の移譲がより顕在化してくるときに、恥ずかしい自分SEO対策とかは、絶対にやりたくないしたくないものだ

と長々書いてきたが、これが一番重要

何と動いてる平野さんをを見ることができる
うちのガッコに彼が来て講義を行ったときのビデオだ
興味があるひとはコレからどうぞ

僕も近々見て感想を書いてみたいと思う
このビデオが共通のテキストになるというのも面白い

2007/05/29

Youtube初体験

夕食が終わって、母親とお喋り

話題は、最近の母のお気に入りだという柳原加奈子
母曰く「販売員のネタが面白いのよね~」とのこと

「Youtubeに上がってるんじゃない?」
かなりの確率でヒットすると思い、ようつべで検索
・・・あった(まぁ期待通り)



続いてチュートリアルやラーメンズの映像も続けて見せる

おかん:これってお金とかかかるんでしょ?

ぼく:んにゃ、タダだよ

おかん:えっ!?こんなに笑わせてもらってタダなの?

ぼく:うん、だって誰かが勝手に映像をみんなが見えるようにしてるだけだもん、まぁテレビの映像とかだとすぐに消されちゃうことが多いけどね

おかん:すごい時代になったわね~シミジミ

インターネット=何だか危ないし怖い
こういう先入観を抱いていた母の感動は見ていて分かった
目が輝いている


そー言えば小公女セーラが大好きだったという話を思い出す
僕も驚いたが大量の映像がヒット

感激の母

ブラウザのホームに小公女セーラを検索したYoutubeを設定し、デスクトップ上の左上にIEのアイコンを置いて、暇なときにでも見てみなよと提案
ダブルクリックを実技指導


人類が始めて月面に着陸をした時代を知らないけれど、Youtubeを知った母の目はきっとその感動に近いものがあった
本当に好奇心に溢れた顔をしていた

良いことをしたなぁ

Youtubeがより好きになった5月の夜

2007/05/28

digmeout.netと木野下円

浪人時代にある雑誌をジャケ買いした

digmeout〈04〉

表紙のイラストがとてもキャッチーで、ひたすらポップで、めっちゃ可愛い
完全な一目惚れだった

この愛くるしいキャラクターは木野下円によって描かれている

この彼女はdigmeoutという企画によって知名度を上げるキッカケを得た

アートする大阪のFMラジオ局「FM802」が行っているアートプロジェクトが、「digmeout」です。これからの活躍が期待される若きアーティストたちを「digout(発掘)」して、局のビジュアルに積極的に採用。局の制作するポスター、ステッカー、番組ガイドなどの媒体などを通じて作品を紹介しつづけています。2001年7月には、アーティストたちを広く全国・世界に紹介するアートブック「digmeout」を創刊。現在4号まで発行されています。「digmeout」は日本全国はもとより、広く海外にもリリースされており、すでに多くの海外アーティストやエージェントからも様々なオファーが舞い込んでいます。この「digmeout」の創刊を契機に、このヤングアーティスト発掘プロジェクトは世界レベルで注目を集め、「digmeout」で特集された作家の中からは、全国区で活躍するスタークリエイターが次々に生まれてきています。


このプロセスはCuration2.0と言えるかもしれない
美術館はどこにも出てこないし、権威の存在もない

ラジオという媒体によって知名度を高めたdigmeoutは、視聴者の層が絞り込める点にネットとの類似点を多く見つけることができる
興味のある人に興味のあるコンテンツをぶつけてやれば効果は大きい
簡単なことだ

そして、何よりもdigmeoutから大きな仕事へステップアップしている人がいることが勇気を与えてくれる(中村佑介enaなどが最たる例である)

この道しるべが、ラジオベースなのに対して、ベースが何もない状態から如何にして同じ土俵に立つか
それを考えるのは難しくも楽しい

テクノロジーによって拡張された個人の力
それを信じて進んでみよう

2007/05/23

bloggerでトラックバック

ようやくgoogleの検索に引っかかるようになったことだし、友達にblogを新しく作ったんだと報告

開口一発、「何でbloggerなんかで作ったの?トラックバック打てないじゃん」
僕、「いや、普通にコメントで良いいでしょ」
彼、「コメントはコメントじゃん、梅田さんにトラックバックできないよ~、良いの?」

半分、脅しだ

だが、出来ないよと言われると拡張のサービスを探してやると逆に燃える
ウェブ空間というものは不自由なものがすぐに改良される世界なのだ

帰宅後すぐに「blogger トラックバック」と検索

おっ、いっぱいヒットしたし、こりゃ期待できる
ってことで、一番上に表示されたクリボウのBlogger入門をクリック

どうやら、トラックバックを貰ったり打ったりすることが『HALOSCAN』を導入すれば可能になるらしい

詳しくはクリボウのBlogger入門をご覧くださいまし

Sign upして、htmlのフォーマットを上書きして、時刻直して、文字コード直して・・・
あっという間にコメントとトラックバックを貰えるようになった

って、このままだと自分からトラックバック打てないじゃんか、と呟きながらも記事を下に読んでいくと、Hit Okano's Blogへのリンクを発見

この記事によると、完全に自動でトラックバックは打てないが、HALOSCANを使うことで、手動でトラックバックを打つことが可能とのこと

苦節10分、とうとうこのblogもトラックバックを打てるようになった 感激

やっぱりウェブってすげーやと、心から感謝

明日にでも、今日の勉強会+サロン÷2(参照)で議論したフューチャリスト宣言の記事を、当の本人にトラックバックしてみるというイベントをやってみようかな

我がblogよ、この調子でどんどん機能を拡張してレベルアップしてくれたまえ

2007/05/22

レッドブルよりも効く

大学の友達を中心として勉強会とサロンを足して2で割ったようなものを日常的にやっている

本やテレビの放送、blogの記事などで、広い意味で刺激的なものを、メーリングリストを使って共有し、見たり読んだりしたときに抱いた各々の視点を共有したり主張し合ったりするというものだ

大学の素晴らしいところは、教育の水準にあるのではなくて、知的リソースが高い密度で集まることであり、そこでの出会いや発見の可能性が高いというところにある

本来の人との出会いというものは偶有性に溢れたものではある
だが、出会えるキッカケが多い大学という環境は、人との出会いがより最適化されていくように感じる

話が脱線気味なので戻すが、共有するコンテンツ、特にテレビの番組で、最近ホットなのが『プロフェッショナル仕事の流儀』だ

個別の放送への感想は他の記事に改めて書くことにするが、この番組は毎回、鳥肌を立たせてもらっている

ナレーションやテロップはゲストの仕事の流儀を効果的に伝える
そして、何よりも視聴者をゾクゾクスさせるのがガシカオが歌う『Progress』だ



番組を見てる人と見てない人では感動の度合いが違うかもしれないが

見た人は、この映像で活力をもらってほしい
見てない人は、まず番組を騙されたと思って見てほしい

どっちの人も、レッドブルよりも即効性のあるエネルギーをチャージできるだろう

うまいことに本日の22時からNHKで放送される

和泉多摩川が泉多摩川ではいけない件について

多摩川にてバーベキュー



食べるのに夢中だったからBBQ中の写真はない 笑

多摩川から見る日の入り

ネットワークについて興味がある友達同士が新たなリンク(友情など)を獲得する場として、今回のBBQを開催

グラフと建築をマッチングさせて視覚化させたいと考えてるヤツや、バラバシの本に感動した建築学科修士のヤツ、バイオの研究でperlなどのプログラミングをやってるヤツら、可能性にスゴく可能性を感じてるヤツといった感じで、僕の周りにある知的リソースとしてはかなりのレベルが終結した

すごい話が期待できる

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く

ただ難点はBBQだったということ 笑
ぐだぐだ感は好きなんだけど、いかんせん話が脱線だっせん

そんな感じで深い話には進展しなかったけれど、初見の人だらけの場で有益なリンクが張られたんじゃないかって思ってる

こういう場はどんどん増やしたいもんだ

簡単なネットワークの特徴として、リンクを多く獲得すればするほど、より多くのリンクを獲得できるようになるというものがある

ネットワークを拡げることでコラボレーションやら化学反応やらを意図的に起こしたい

実験じっけん♪

水切り


家に帰ってから『ソラニン』を読んだ

初めて降り立った和泉多摩川
この作品の舞台がココだったということを、今さら思い出す

表紙にも52ページにも170ページにも181ページにも
見た景色がそのまま描かれている 上手く言語化できないけどゾクゾクする

ソラニン 1 (1)

和泉多摩川に行った後のソラニンは、いつもに増して胸の奥がズキンと痛む本でしたとさ

2007/05/20

リアルのためのフィクション展

東京国立近代美術館に行ってきた

場所はココ↓


東京国立近代美術館

本展で紹介する4人のアーティスト―イケムラレイコ、ソフィ・カル、やなぎみわ、塩田千春―は、扱う素材も、「リアル」なものに迫ろうとするアプローチの仕方も、さまざまですが、彼女たちはみな、ある種のフィクション(虚構)をしつらえて、それを通して逆説的に、私たちに「リアル」なものの扉を開く鍵を示しているようにみえます。リアルのためのフィクション。彼女たちが静かにあるいは饒舌に語りかける物語は、あなたの「リアル」を感じる力を揺り動かすことでしょう。

にある通り、4人の現代アーティストの展示

1時間ぐらいこの展示を見ていたが、45分はやなぎみわに使われた



この作品を見たときのメモ
もう一つの展示作品とは、違った意味で対比を成している作品。光と闇、ハイトーンの赤と暗い赤、希望と絶望。左の作品では花、右の作品では女がどのような意図でそれぞれ陳列されているのかは分からないが、ダークな花とポップな女の比較には、なにやらパワーを感じる。物体として記号としての女が、この写真においてどのような役割をはたしているのだろうか、画一的で均質的な女たちが、並べられ、捨てられる。消費社会の闇を一方では明るく、一方では暗く暗示しているような作品だ。

また、彼女はもう1つ、作品を出展していた
そのメモ
写真と写真の間までdesignされているような印象を受ける。完全な補色関係ではないが、赤(くすんだ紫のような赤)と、青(緑と混じってはいるが澄んだ青)のコントラストの中に、上手く白が配置され生かされている。女の白。ライトの白。そして、写真の間にある白い壁。そこまで考えて撮られているとすると恐ろしい。サークルがモーチーフにされているように感じるのは気のせいだろうか?

とても妖艶なチカラをもった写真で、完全に時間を忘れて没頭させられた
おススメ

次にイケムラレイコの作品



私は基本的には、タイトルを作品よりも先に見ることはしない
タイトルをつけるところまでが作品作りじゃないか?と怒られてしまいそうだが、まずは、無心で作品と向き合い、あれこれ考え、最後にタイトルを見るという流れが基本である

彼女の作品を見てのメモ
女の子が菜の花の上で寝ているのだろうか?それとも、人形が黄色のシーツの上に捨てられているのだろうか?いや、見方によっては老婆にすら見える。ん?もしかして、この被写体は腕が途中でなくなっている?爪のようにも見えるが切断されているようにも見える。何故うつ伏せなのだろうか?捨てられて泣いているのだろうか?そもそも、これはトルソーかもしれない?想像を掻き立てるキーワードは、黒い顔だろうか。その見えない顔を補完しようと、脳が活発になり思いを馳せるのだろう。

本当に色々なことを考えさせられた
そして改めて、芸術作品との対峙においてこの思いを馳せるという時間が私は一番好きだということを感じる
芸術と触れ合うということは、まさにこの瞬間のことを言うのではないだろうか?

一体どんなタイトルがこの作品につけられているのかと、心を弾ませて見てみると、「横たわる少女」こう記してあった

この作品の鑑賞に関しては、持論に分があるように思う
先にタイトルを見てしまったら、メモにあったような考えは出てこなかっただろう


4人のうち2人が写真を表現に使っている点は面白い
というのも、私は写真における社会の切り取りが、リアルに限りなく近い(ように見える)虚構であると感じているからだ

欲しい絵になるまで、何枚も撮っては消してを繰り返すことを可能にしたデジカメ
撮り終わった写真の構図の再構成を、切り貼りによって可能にするフォトショップ

もはやカメラの持つ真実味というものは、テクノロジーの進歩によって、大きく揺らいでいる
芸能人の男女がたまたま親しく喋ってる写真を、人々は熱愛発覚だの最高のカップルだのはやし立てる

写真に対する信憑性は、カメラの進歩に置いてけぼりをくい、作り込まれた情報を人々はいつまでも真実だと信じている

フィクションによる(によって提供される)リアルだ

何でも作りこめる今だからこそ、私たちは選球眼を鍛えなくてはいけない
フィクションに踊らされるのではなく、フィクションによって味付けされたリアルを楽しく生きよう

フィクション>リアルからフィクション<リアルへ

情報の渦はこれからも肥大化する一方であり、この2007年という時代にこの展示を行う意味というものの重要性は大きい

「リアルのためのフィクション」展

Art Award Tokyo2007

行幸地下ギャラリーで行われているArt Award Tokyo2007を見てきた

会場は丸ビルと新丸ビルの間にある地下通路

大体の地図はココ↓


会場についてまず最初に感じたのが、展示スペースとしての設計がなっていないということ
確かに地下通路ということを考えると十分な明るさや十分なスペースという条件があるだろう
しかし、コンビニのような明かりをガラスが反射して、展示の作品が十分に鑑賞できない点は残念に思う

値段の張る凄い額縁に、例えば幼稚園児の描いた絵を入れたとして、それは藝術作品に見えてしまうものだ
それはつまり、いくら作品自体が魅力的だとしても、その展示の環境が劣悪であればその作品自体の完成度というものは半減してしまうということでもある

行幸地下ギャラリー

反射はもちろんのこと、作品の前でガラスが切れてしまうこともマイナス評価

Art Award Tokyo、劣悪な展示環境

そんな作品を見る集中力を欠いている中、一つの作品の前で足が止まる

Art Award Tokyo展示作品

馬場晋作という方の作品

ステンレスをカンバスに油絵で作品を描いているのだが、見る側が作品に映りこんでしまうことまでも作品の範疇にしているかのようだ
ガラスに反射する光、僕、他の作品、そういうものを飲み込むパワーのようなものを感じた

この桜を描いたものの他に、シャンデリアを描いているものも、ゴージャスな感じが出ていて好きだ

また、映像のため写真は撮らなかったがAIMASの人が出品していたものは面白い
ネタバレになってしまうから言わないが、会場に足を運んでナマで見てもらいたい

以下、何となく惹かれて撮った作品

Art Award Tokyo大賞作品

Art Award Tokyo展示作品

DSC_4313

見に行って思ったことは、やっぱり芸術活動は素晴らしいなぁっていうことの再認識と、作品を展示するスペースの増加でアートがより身近なものになってきているなぁということだ

より消費されるものとしての側面が強くなったなどの意見はあるだろうが、芸術鑑賞の間口が広がることには素直に嬉しい 全体的な底上げになる

一方で、このような現象は都心部にだけ起きているムーブメントの気もする
都会と田舎の藝術への興味の差といものは非常に深刻だ

直島の地中美術館や水戸美術館のように、藝術を地方の財源として活用する流れこそが、その都市と田舎の差を縮めるための良いヒントではないか

と、まぁblogを新しくしてての記事で、熱く語ってますが 笑
無料だし、新名物の新丸ビルにお越しの際は、ちと寄ってみてはいかがでしょう


行幸地下通路の掲示板

電光掲示板の字がピンクだったから、感動のあまりシャッターをきってしまいました

アート アワード トーキョー 2007