2007/06/26

すごく久しぶりの投稿

三日坊主という言葉がある
このblogのことであろうか
実に嘆かわしいことである

更には「blogを書くまでのプロセスが面倒なんだよなぁ」
とインターフェースに責任転嫁をしている具合を見るに
実に始末に悪い

livedoor Readerも1800の記事を蓄えており
ネット世界の中で生活してない時間の長さを
その数をもって知る運びとなる

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ノルウェイの森とかの、少し前の青春小説とかを見ると
今、上に書いたような話し言葉を使う人間がしばしば出てくる
そういう人間は、右の翼にしろ左の翼にしろ
社会の中での自分の役割(のようなもの)を自覚していて
思想、意見の異なる人間と議論をするという場面が多くあった
少なくとも、現代と比べると多くあった

人と議論をすることはパワーを必要とし
尖った部分がぶつかり合うのは痛い

不必要(だと現代人は感じる)な摩擦が生まれ、人間関係はギクシャクする
だったら、そんなことはしないで、丸く丸くなる他、仕方がない

母性的なコミュニケーションである相槌は男にまで広がった
「○○らしいよ」「へぇ~そうなんだ~」
「あの芸能人チョ~面白くない?」「うんうん」

昨日行ったトークショー宮台真司氏が言った言葉はこの社会の様相を上手く表していた

「涙は豊かさではなく貧しさを表すようになった」

ヴィトンを抱えるあの子を非難するつもりはないし
ギャルゲーで興奮する彼を卑下するつもりもない

ただ、二次元的な記号を求めることが、凸と凸がぶつかり合って建設的や創造的な空間や議論や友情を作り出すことと反対の方向に突き進むことならば
ボクは深さや奥行きや長さや高さがある立体になりたいと思う
目の前の馴れ合いよりも先の関係を大事にしなくてはいけない

駄目な映画を盛り上げるために 簡単に命が捨てられていく
違う僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ
(Mr Children)

逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ
(新世紀エヴァンゲリオン)

死にオチの映画を笑ってみるのもいいんじゃないでしょうか
横で泣いてるあの子にワンパンチとか(出来やしないのだけれど)憧れます

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦

トークショーはこの本の出版を記念して企画されたもの
二次元的な相槌もなければ、対談に見られるリズムのよさ(短い掛け合い)もない本
技術者最強説みたいな感じは全編に通じてみられるけど一読の価値あり

2007/06/09

「日本のグラフィックデザイン:ジャグダ1981〜2006」展

に行ってきた

初めてのミッドタウン、その5階が展示スペースになっている
住所は:東京都港区赤坂9-7-1



どこを見てもポスター、ポスター、ポスター、ポスターという展示

ポスターというものは、小学校のクラスに1~2人いる優秀な子の優秀な答えのような印象を抱く
面白味には欠けるけれど先生は満足みたいなそんな感じ
お利口なさんなそこ子は、要点を抑えて褒められる術を知っている
良い成績の取り方を知っている

地球を守ろうと声を荒げているあの人は、朝、歯を磨いているときに水を流し続けているかもしれない
世間では教育熱心なパパと呼ばれて賞賛を浴びているあの人は、家に帰れば子供を、そして妻を殴るような人間かもしれない

そういう風に、誰でも『見せかけ』だけはキレイでいられる
ポスターって何か同じような感じなんだよなぁ

核撤廃を叫んだところで、北の国の狂気はとめられないだろうし、世界の親分は兵器な顔して平気を持ち続ける現状は変えられないさ

まぁ意識を持たせることは重要だと思いますよ、ソコから何かが変わるかもしれないし
ってことで、この文章終わり
あれ、逃げてんじゃんって?笑
んじゃ、もう一個だけ書かせてもらいましょう

会場には緑のバッジを胸に付けて誇らしげなじぃ様たちが大勢いるわけです
その人たちの口から出てくる言葉は
「素敵な場所になったね」だの「ミッドタウンすごいじゃない」だの「お客さんも多いし、大盛況だなこりゃ」を連発
何ていうか展示された作品に対する愛が欠けているようで寂しかった

アートスペースの名前をデザインハブにしたことは素晴らしいと思う
ネットワークの重要性が叫ばれる今日、特に多くのリンク(人と人との繋がりなど)を持っているノード(点、まぁ人とかルーターとか)のことをハブと呼ぶ
ハブは価値と価値のコネクターだったりとネットワーク全体が大きなチカラを発揮する原動力となる柱だ
この名前のチョイスは素晴らしい

だけど、このハブに繋がっているリンクは、愛や情熱や明日ではなくて、富や権力や昨日という印象を受けた
レセプションの日に集まってじぃ様同士が盛り上がるのは結構だが、作品を集中して見たい来場者にとっては雑音でしかないんだなぁ


「日本のグラフィックデザイン:ジャグダ1981〜2006」展

2007/06/04

そのときは彼によろしく

評価:★★★★☆(4つ星)

誰もが誰かの触媒であり、世の中は様々な化学反応に満ちている。それがきっと生きているってことなんだと思う。(原作366ページより)

市川拓司原作の映画化はこれ3つ目だ
『恋愛寫眞』、『今、会いにゆきます』、そして『そのときは彼によろしく』
毎回感じることは、小説を映画が越えられないなぁ、ということ

彼の描く世界に共通して見られる特徴に、SFファンタジー的なフィクションがある
上記の3作品ではないが、水の中でしか生きられなくなってしまう少年や、年がどんどん若くなる女性などがその例だ

そして『そのときは彼によろしく』も市川ワールドが全開の作品
しかし、彼はその唯一のフィクションが存在する世界を、実に緻密に描写する技術があり、違和感のようなものは全く感じない
むしろリアリティすら持っている

そして、表現手段が小説ということも大きな要因だと言える
というのも、小説は不完全なメディアゆえに、視聴者による補完が多くなされるからだ

文字で「絶世の美女」と書けば受け手は誰もが頭にある絶世の美女を浮かべる
これが映画などではそうはいかない
映像に映るヒロインへの評価というものは人によって異なるからだ
視覚的な情報は視聴者の主観で決まってしまう

この視聴者による補完が、彼の作風である緻密に描かれたフィクションにリアリティを持たす役割を果たしている
少々強引な場面があったとしても、受け手は最大限の想像力を働かせてズレを修正してくれる

そしてそれが最初に言った、どの映画も小説を越えられない理由ではないだろうか?
つまり彼の世界を映像として伝えることの難しさがあるのでは?ということだ

作り手はフィクションが存在する世界に対してリアリティを演出しづらく
受け手はどこかぎこちない映像に感情移入しづらい

こういった問題が市川小説の映像化に際して大きな障害としてあるのだろう
『そのときは彼によろしく』も、その壁を越えることが出来なかったように感じる

とまぁ色々と映画に関してマイナスとも取れる発言をしているが、小説を直前に読んでから行った身としては設定にやや不満はあるけれど、作品自体はかなり楽しめた
ヒロインの幼少期のを演じた女の子の演技は光っていたし、よくありがちな小説を見てないと分かりづらい作品にもなっていなかった

確かに小説は越えることは叶わなかったが星は4つあげても良いとと思う
普通に満足

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映像とは関係のないところで思ったことを2つ


幼少期の別れのシーンで別れ際にキスをするという場面がある
数ある場面の中でもとりわけ印象深いシーンであると共に小学生同士のキスという絵が持つパワーも強く、甘酸っぱい思い出として上手に描かれている

が、が、しかし、問題はそんなことではない
役を演じていた子供たちの年頃において、キスがどれくらい意味深いものであるかということだ
熟女とおっさんが舌同士をベロベロさせようがグチョグチョさせようが、そんなのどーでもいい
ただあの子たち位の年代というのは、徐々に異性を気にするようになったり、今思うとどーでもいいことで死ぬほど恥ずかしがったり、どーにかして好きなあの子と手を繋ぎたいって悩んだりするという甘酸っぱい時代だったと思うんだ

商業ベースに乗せられた彼女たちの本来あるべき、あの年代の子が必ず抱くべき、恥ずかしさや異性に対する興味・妄想みたいなものが、大人たちの都合によって奪われてるとすると、とても胸が痛くなる
そんなことを見ながら感じていてテンションを落としてまった


ちゅらさんってNHKの連続テレビ小説があった
国仲涼子が姉ちゃんで山田孝之が弟として登場する

・・・はい、この映像のキャストです
構図としては姉ちゃんが弟に片思いするというものでした

プロダクションの関係とか、使える若手俳優のリソース不足とかで、選択肢が少ないということはもちろん分かるんですけど、ちゅらさんが好きだったばっかりに、映画の世界に入っていきづらいなぁという感じを受けました

そのときは彼によろしく

2007/06/02

「Toshiki Yagisawa Selection Ver.1.0」展

場所が分かりにくい
というか同じ番地を20分間徘徊してしまった

大江戸線の落合南長崎駅から道なりに進んで、セブンの手前の建物の3階
特に目立つ看板とかがないから注意とりあえずセブンの手前の建物の3階



6~7坪ほどのワンルームに6名のアーティストによる9つの作品が展示してある

アートアワード東京2007にも出展していた谷口真人氏の作品などもあり全体的に惹きつける魅力のある作品が多い

しばらく作品を見て回っていると、一人の男性が声を掛けてきた
彼の名前は八木沢俊樹
このギャラリーのキュレーターである

しばらくキュレーションがネットと結びつくことで創造される価値と、アーティストと出会えるキッカケが増えたという話で盛り上がる

確かに、この企画を知ったのもTabでのコメントの多さに興味を持ったという経緯があり、キッカケとしてウェブは大きな意味を持っている
個人が情報を発信するコストが無料になったことでバイラルは加速した
実際問題、彼が10年前に同じキュレーションをしたところでこれほどの大盛況は見せなかっただろう

本当にいい時代になったものだ

そして、やはり実際に作品と触れることのできる物理的な場というものの重要性も改めて感じさせられた
心の中にはウェブは万能だという感情があり、元手を要することなく新しい時代のキュレーションを確立することが出来ると考えていたが、実際の空間の持つエネルギーというものはやはり大きいし全てだ

ただ、八木沢さんのような、いち若者がギャラリーを持ち、集客を出来るようになっている事実もまたウェブの恩恵によるものであり、キュレーション2.0が市民権を得る日も近いのではないか?

しばらく話し合った後「いっぱいアーティストを抱えるようになったら、専用のウェブで、興味のある人たちに作品に投票をしてもらって、その結果の上位作品を展示するとかも面白そうですよね?」と聞いてみると「でも最終的なフィルターはオレだし、そこが価値だから、点数とかっていうのは好きじゃないなぁ」と一瞬で切り返される

もちろん八木沢さんの眼鏡にかなったのだけを本戦という形で投票のレースに載せるという意味で言ったのだが、まぁそんなことはどうでもいい
彼のキュレーターとしての信念みたいなものをガツンと感じることが出来たし満足だ
こういうパワーが時代を引っ張っていくものだと思っている
信念や狂気、怒り(ココでは関係ない)が大きなパワーを生むのだ

よいしょする訳ではないが、若さと熱さを兼ね備えた八木沢さんからはしばらく目が離せない
要チェックだ
負けてはいられないが、彼の活動には大きな興味を抱いている

一緒になって面白いことができたら更に最高だ
どうでしょうか八木沢さん?笑

東京都新宿区西落合4-3-1 フジビル3Fでの夕

30分ほどお喋りをして刺激を貰った後の空は綺麗だった

次に彼に会うのは7月の中旬に新宿にオープンするというバーでだろう
それも激しく楽しみだ


「Toshiki Yagisawa Selection Ver.1.0」展

2007/06/01

「INDEX #3 経験の効用」展

場所はココ↓↓



「INDEX」展は2005年に京都造形芸術大学の運営するアートスペースARTZONEで第一回目が開催されました。2006年には、ARTZONEに加え、トーキョーワンダーサイトでの展示を行い、第3回目の今回は、さらに規模を拡大し、京都展は京都精華大学のアートスペースshin-biも加わり、京都展二カ所、東京展一カ所の計三カ所で開催されます。出品アーティスト10名は殆どが80年代生まれの20代の若手アーティストです。また、この展覧会は若いアートマネージメントを志す者が、同年代のアーティストの展示を行う試みとなっています。


と、こういう趣旨の企画展

その中から特に印象的だった2人の作品をピックアップしてみたい

「INDEX #3 経験の効用」展-3

「INDEX #3 経験の効用」展-4

タイルに描かれた美しいエメラルドグリーンの点と線
ネットワーク論への強い興味がこのノードとリンクによって構成されている作品に対して、ポジティブな評価をする結果となっているかもしれないが、そもそもの、色使いや素材の選択という点に作者のセンスの良さを感じた

「INDEX #3 経験の効用」展-2

「INDEX #3 経験の効用」展-7

この作品は視点が好きだ
ピアノを演奏している映像と共に出展されていて、インスタレーションと絵画の中間に位置するような作品だ
テーマの設定や世界観の統一性からは作者の戦略的なアートという一面を感じることができる
その決意のようなものが、この作品を他の作品との違いなのだろう

作りたいものを作るということが芸術だと考えられている状況を村上隆は真のアートではないと語っているが、その点において、この2作品は際立っていた
どのような戦略、思想によって考えられているのかを、実際に連絡を取って聞いてみたいと思ったのものが、素敵だと感じたこの2作品である


「INDEX #3 経験の効用」展