2007/11/28

mouse購入

マウスを買った

Logicool:ナノ コードレスレーザーマウス フォア ノートブック VX-N

アマゾンはコチラ

価格.comはコチラ

↑学校で借りたパソコンだからアフェリエイトは無し
買ってくれても僕の利益に一切ならない


選んだ理由は、ネット上での評価が高かったから

・・・それだけ

不特定多数無限大に対する信頼

それが虚構なのか真実なのかを知るのは、商品が届く12月2日
結果やいかに

2007/11/26

galaxy countach

昔の記事にも書いたGalaxy Countach八木沢俊樹が西新宿にオープンした、Gallery兼Barである

こんなとこにあります↓↓(新宿駅西口から徒歩5分くらいかな)


拡大地図を表示

秘密基地、小学校のときとかに作った記憶がある人も多いと思うのだけれど、そういうイメージの隠れ家的遊びスポットでございます

フロアはピンクで統一されていて(そこが大の好みw)、ギャラリストである八木沢氏の眼鏡にかなった作品が早いペースで入れ替わり立ち代り展示されている

********************

僕が訪れた11月24日は、八木沢氏が、多摩美の文化祭で見つけてきた才能たちのエキシビジョンオープニングパーティーだった

店に着くのが遅くなってしまって、Artistは1人しか残っていなかったのだけれど、その人と話をすることができた

作品は、ガネーシャをモチーフに、リカちゃん人形の体に象の顔をくっつけて、それが馬の上に乗せられているというもの

像の持つ男性性と人形の胸が持つ女性性の両方を備えた存在というコンセプトがあるのか?と聞いてみたが、そのような意図は全くないようだ

なんとなく作ったというのがその答えだった

確かに、Artistは言語化できない領域を作品に落とし込むという作業をする以上、作った本人がうまく言葉にする必要が求められないという側面はあるだろう

しかし、既存のものとものとを組み合わせたような、奇を衒(てら)ったような作品においては、コンセプトや狙いのようなものを明確にあらわさなければならないと思う

そうしなければ、ただ単に面白いものという域を出ない、その瞬間だけの消費財になってしまう

作品としてのクォリティーを高める上でも、作品として最終的には販売というexitを考える上でも、作品制作の中での狙いのようなものを言葉にする必要は十分にあると思う

別に愚痴を言っているのではない

面白いものを作っているのだから、さらに踏み込んで作品と自己を対峙してもらいたいなぁと感想をもっただけ

********************

その子とのお喋りを終えてからは、その日に出会った歯医者さんと一緒に酒を飲んだ

全く初見の人間同士が気軽に話が出来るというのも、Galaxyの良いところだと思う
その人も、隠れ家的、という評価をGalaxyに寄せていた

皆さんも新宿にお越しの際は、是非、Galaxy Countachへ起こし下さい
熱いオーナーとイケメンのバーテンダーがあなたを迎えてくれるでしょう
(別にココが儲けても、僕に一銭も入ってこないけどね 笑)


あっ、12月の21日にココでクリスマスパーチーしますので、僕の知り合いの方は是非ぜひゼヒ

2007/11/25

「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展in森美術館

まずは地図から(前回のテストの地図と同じになってしまったw)


拡大地図を表示

森美術館のチケットをもらったので、ありがたく見させてもらってきた

この展示はタイトルからして興味があった

多様な日本のアーティストを紹介する「六本木クロッシング」は、現在進行形の美術の動向に注目する森美術館ならではのシリーズ展として2004年にスタートしました。第2回目となる本展では、特に「交差(クロッシング)」の意味に注目し、4人のキュレーターによる活発な議論を通して、枠に収まりきらないエネルギーと影響力をもつ、今見せるべきアーティスト36組を厳選しました。


広告にしたって、クロスメディアなんてことが叫ばれているが、時代が含む多様性というものを一つの観点からでは捉えらずらくなってきているのは実感としてある

多様な視座・観点から対象を観察することが求めらられる時代の要求に、この展示のスローガンは見事マッチしていて、素晴らしいなぁと感じていたのだ

新たな表現方法や素材が見られるのではないかと、心を躍らせた



実際の作品の中で、心を揺さぶられて記憶に残ったのは3つほどあった

美術館に行っても、そのような作品に出会えないことが多くあることを考えると、大漁といってよい

一つ目は剣山のように、ニョキニョキと無数に生えているビル群の作品

見る地点、時間によって作品の表情が変わるというのは素晴らしい体験だ
一瞬いっしゅんで表情が変わる一回性を備えた作品で、ツボを突かれた思いがした

というのも、ネットの恩恵によってもたらされた「いつでもどこでも」という合言葉以降、再現不可能性や場所性、一回性というものに対する強い憧れというものがあるからだ

実感としてあるのは、アーティストの楽曲が無料で手に入りやすくなったことの反比例のようにライブの価値が上がった

音楽に親しむというハードルが下がり、多くの人々に聴かれるようになったことで、生の歌声を聴きたい人間の数を圧倒的に増やしたことがその理由としてあるだろう

そして、そのライブというものこそが、場所性・一回性を備えたものである

話が脱線したが、これからのコンテンツに求められる最上の形態は、時代の流れとは逆行しているように感じられるかもしれないが、再現不可能性にあると考えている

そんな考えを、この剣山の作品は見事に体現していた
素晴らしい

一番の鑑賞スポットは階段横の壁に投影される街の影なんじゃないかと勝手に考えている


2つ目は大きくプリントされた写真が所狭しと並ぶブースである

工場萌えの僕としては、鉄筋やコンクリートがモチーフになった写真は無条件で好きだったのだが、それ以上に僕を虜にしたのは、公園にひっそりとたたずむ象(多分オブジェ)の写真であった

だが、どこがどう凄いの?と聞かれても困ってしまう

象のテクスチャーもにじみ出たピンクも構図も好きだったのだが、何に心をときめかされたのかがイマイチ分からない

書きながら、詳細の絵が浮かんでこないことが腹立たしく感じる
もう一回、行ってこようかな

そうすれば、ドコに惹かれたのかが分かるかもしれない
(ひどい感想だけど終わりw)


3つ目は田中偉一郎の作品(今回、唯一タイトルと名前を見た作品)

この人の作品は・・・うーん、実際に見てみるのが一番だと思う

ニヤけるし嬉しくなってくる

多分この感情は万人に共通なんじゃないかな?説明は要らない
とにかく見れ



資本で芸術作品を囲い込んで、それを小出しにすることで、商売をするようなイメージがあって、巨大な美術館というものは好きになれない

それを教養主義の人々は、ありがたがって2時間も待って見るのだろうけど、そういうものが、本当に作品とのラディカルな関係なのか?ということはいつも考えさせられる

僕は作品を見るときは多くの人の中では見たくないし、何よりも、作品以上に説明の字に見入っている人々を見るのが本当に嫌だ

ただ、そういう文化を作り出している根源に、巨大美術館産業があると思っている(勝手に)

だから六本木界隈の美術館は、集客が見込めるようなヨーロッパの印象派展ばっかりをやるものだと思っていたが、今回のこの展示は違った

クロッシングというコンセプトに沿っていないように思える作品も多くあったが

時代の息吹
才能を日の当たる舞台に押し上げる情熱

そういうものが体感できる展示だった

未来に向けて意義のあるcurationをこれからも森美術館に期待したい



最後に、赤瀬川源平、芸術原論(今回の展示のキュレーターの一人である椹木野衣が解説をしている)の172ページから文章を引用して終わりたいと思う

 ファッションにはもちろん美学的要素があってのことだが、その水準が一列に並んでしまうと、あとはブランド、記号の売買である。
 記号は感覚というよりは勉学のタマモノである。したがって記号を買う人は教養主義の人々である。
 教養主義者とはつぎのような人々だ。デパートの展覧会で、絵の前を通り過ぎて解説の前で立ち止まる人。


あなたは教養主義者ですか?


「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展
田中偉一郎

テスト

久しぶりの投稿

ブラウザを変えた(Firefox⇒Flock)お陰でワンクリックの投稿できるようになったし、これからは頻度を上げていきたい

アウトプットを前提とした人との出会いやイベントへの参加は、得られるものがより大きくなる
そして、それを文字に起こすことで、自分の考えがまとまる

↑小学生の日記のような、当たり前の話すぎて引く 笑


「継続は力である」

耳にタコができるほど聞いた言葉だが、真理であるように思う



今まで、地図にGoogleMAPを使ってこなかったので、ココでテスト


拡大地図を表示

デカイかな?



とりあえず、学園祭で学校が休みの1週間が怒涛の出会いだったので、その辺りから書いていきたいと思う

と、ココに意思表明をしておく

・・・続くかな 笑

Blogged with Flock